12.02.28
林忠彦賞
この度「東京|天空樹 Risen in the East」で第21回林忠彦賞を受賞しました。
協力してくださった皆様、応援してくださった方々に感謝致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。
12.02.13
「東京|天空樹」 書評、展評
ここ数日で出ました新聞の書評、展覧会評です。
是非ご覧ください。

2012年2月5日朝日新聞



2012年2月5日読売新聞





2012年2月7日毎日新聞




2012年2月11日産経新聞





  2012年2月19日日本経済新聞





2012年2月26日東京新聞




12.02.08
ROADSIDER'S weekly記事
都築響一さんが先日PGIにいらっしゃって取材してくださいました。
「引用上等、夜露死苦!」とのことですので、都築さんの有料メルマガROADSIDE'S weekly http://www.roadsiders.com/ から引用させていただきます。
みなさん是非ご覧ください。

photography 佐藤信太郎 『東京 I 天空樹 Risen in the East』

墨田区押上に、最近ふたつの新名物ができた。ひとつは言わずと知れた東京スカイツリー。もうひとつは、スカイツリーを激写するカメラ・ファンの大群だ。毎日のように同じ場所から、定点観測というか定点撮影しつづけてきた熱心なひとすらたくさんいたようで、パラパラ漫画でも作る気なのだろうか。

スカイツリーのお膝元である押上はもちろん、東京右半分のほとんどどこからでも見える、というか見ないわけにはいかないスカイツリーは、この都市の東側の景観を決定的に変えてしまった。完成したいまとなっては、あれがなかったころの景観を思い出せないほどに。

空に刺さる不格好な剣のようなスカイツリーが、僕はそんなに好きではない。というか、むしろ嫌いだ。ちまたにあふれかえるスカイツリーの写真は、もっと嫌いだ。でも、スカイツリーを見て、よかったと思うことがひとつだけある。それは東京下町の「空」に気がついたこと。

多くのひとにとって、スカイツリーは平面的な下町のランドスケープから飛び出した巨大な突起物なのだろうが、僕にはスカイツリーが、どんよりした空に突き刺さることで、下界ではなく空を見ろと指す指のように見える。どこか高いビルの屋上に登って、それまでは街の広がりを見おろしていたのが、スカイツリーのおかげで、急に視線が上を向くようになった気がする。そして、そんな気持ちを初めてきちんと自覚させてくれたのが、佐藤信太郎さんの写真集『東京 I 天空樹 Risen in the East』を見たときだった。

『東京 I 天空樹』には2008年12月、まだ更地だった段階から、2011年8月、すっかり完成した姿が隅田川の花火と並んで見えた夜まで、52景のスカイツリーが記録されている。そこに、ありがちな「真下から仰ぎ見るスカイツリーの威容」なんてカットは1枚もない。あるときは近くから、あるときはすごく遠くから撮影されているのは、「風景の中のスカイツリー」だ。そして、ちまたに氾濫するスカイツリーのイメージで、こんなふうに、それもこんなボリュームでツリーを捉えた写真を、僕はこれまで見たことがなかった。

ずいぶん前に藤原新也さんが、富士山を撮影したシリーズがあって、それはどぎつい色のコンビニの向こうに、雪を頂いた富士山がどーんとそびえるというような写真だった。その対比が富士山の圧倒的な存在感をかえって強調していて、なるほどと感心したが、いかにも下町らしさが残る風景のなかから突き出すスカイツリーにも、同じように強烈な違和感がある。それを富士山のように美しいと思えるのか、異物として不快に思うかは、写真を見るひと、そしてこれから東京で暮らすひとびとに委ねられているわけだが。

僕が最初に佐藤さんの仕事を知ったのは、『夜光』という小さな写真集だった。2000年に自費出版で出されたそれは、夜の繁華街の、ギラギラのネオンの海を捉えた彩度マックスの写真集であり、自費出版だけに多くのひとの目には止まらなかっただろうけれど、僕には強烈な印象となって残っていた。





それから8年経った2008年、佐藤さんは『非常階段東京』という写真集を出版する(青幻舎刊)。それは題名のとおり「非常階段の上から見た東京の風景」だ。たとえばいつも歩いている街が、首都高速を走っている車窓から眺めると、まるでちがう街に見えるのと同じように、そこらのビルの非常階段をほんの数階ぶん上がるだけで、ふだんはビルやアーケードでさえぎられる「俯瞰の視線」が、知っているはずの都市をこんなにちがう風景に見せてくれるという、それは作品集でありつつ、新鮮な「街歩きのルート提案」でもあった。




その佐藤信太郎の新作である『東京 I 天空樹』の写真展が、今月25日まで芝浦のPGI(フォトギャラリー・インターナショナル)で開催中である。会場で佐藤さんにお話をうかがうことができた――。

佐藤さんは1969(昭和44)年、葛飾区金町に生まれた。小学校1年生の夏に千葉県稲毛区に引っ越し、いまも稲毛に住み、制作をつづけている。

うちは母が大学でフランス語を教えていて、父はYKKで中南米に単身赴任していた時期が長かったんですが、僕自身はスポーツ少年でした。中学は陸上、高校では柔道をけっこう本気でやってまして。

で、高校のころに「物書きになりたいな」と思いはじめるんですが、大学に落ちまして。それで受験に嫌気がさしてふらふらしているときに、藤原新也さんの著作を知って、写真もいいなと。だって、世界中を旅しながら、それが仕事になるんですから(笑)。それで、東京綜合写真専門学校に入学しました。

その専門学校は、技術というより作家養成を重んじるところだったんですが、やっぱり狭い世界だし、人間関係も狭いのに疲れまして、2年生の冬に早稲田を受験するんですね。それで第一文学部に入学したので、専門学校の3年目は早稲田と掛け持ちでした。まあ専門学校(3年間)は1、2年のうちが忙しくて、3年になるとヒマなので、どうということはなかったですが。

それで95年に早稲田を卒業して、共同通信社に26歳で入社するんです。共同通信には社団(一般社団法人)と株式会社のふたつがありまして、株式会社のほうは報道というよりも、雑誌っぽい取材記事とかが多かったんですね。それなら自分にもできるかなと思って、選んだんです。

自分が報道に向くとは思ってませんでしたが(笑)、そのころサルガドやジョセフ・クーデルカに感銘を受けまして、こういうドキュメンタリーもいいなと。勤務は日勤だったので、夜は自分の写真撮影に使えますよね。それで、マミヤ7と三脚を担いで夜の街を歩き回って撮ったのが、『夜光』です。呼び込みのお兄さんとかもいて怖いこともあるんですが、それにまた惹かれるというか。でも、堂々と三脚立てて30分とか撮ってると、意外になにも言われないんですよね。

ところが2000年ごろになって組織の改編がありまして、報道セクションに異動になっちゃうんです。会社的には栄転なんですが・・。勤務地も大阪に転勤になって。ちょうど池田小や、明石の将棋倒し事件があった当時で、もうバリバリのニュース報道です。

そういう報道って、とにかく自分の時間がまったくないでしょ。つねに呼び出されたりするから、気持ちの上でも余裕がないし。で、もう辞めたくて辞めたくてどうしようもなくなって、2001年に7年弱いた共同通信を退社しました。で、有給を消化して(笑)、2002年1月1日からフリーです。

フリーになったからといって、仕事の目算なんてなにもなかったので、街をうろうろしては写真を撮って。でもいいものができないので、いらないフィルムとプリントだけがどんどん溜まっていく状態でしたね。

それで困ってるときに、うちの奥さんが建築家のウェブサイトを見て、こういうところにアクセスして、竣工写真を撮らせてもらったらいいんじゃないと言うので、いろいろあたってるうちに、少しは撮らせてくれるところもでてきて。まあでも当時から、いまでも生活は大変ですけど。うちは奥さんが働いてるので、僕はむしろ主夫=ハウスハズバンド状態です。

それで、大阪にいたころですが、街を歩いていたらアーケードがあって、なんとなく横道に入ってビルの非常階段を上ってみたら、アーケードの上が見えたんです。そうすると、下からとはがらっと視点が変わるなって気がついて。それで、そのまま夕方まで撮ってみたら、光の感じがどろーんとしていいなと。そんな感じで、(退社して)東京に帰ってきてからも、だんだん上に行くようになったんですね。最初は路地だったのが、だんだん視点が上にってぐあいです。

でもね、非常階段の写真は、冬の空気がきれいなときにしか撮れないんです。特に夕焼けは(夏と冬では)ぜんぜんちがうので、年に10枚とかしか撮れなかったですねえ。メインは12月から1月いっぱいの2ヶ月ぐらいで、あとの期間はロケハン。それも空気が夕方になるまですーっと抜けて見えるのは、そのうちでも数日しかないんです。しかもあれは4x5の大判カメラで、4分から8分ぐらいの長時間露光ですから、風が強いとブレちゃう。もう、風との闘いでしたね。コンディションのいいときでも、撮れるのは日没前後の30分でせいぜい4、5カットでした。

撮影場所はやっぱり東京の東側が多かったです。西側って、高い建物のない住宅街でも、意外に区画が整理されてるんですね。東側のほうが再開発が進んでないので、昔ながらの土地の流れが見えるというか、地面から家が自然に生えてきてる印象があって。

その『非常階段東京』が2008年に出て、次にどうしたらいいかよくわからない時期があって、ちょうどそのときに博報堂から「スカイツリーの完成予想図を作るので、その背景用の写真を撮ってほしい」という依頼が来たんです。それが、(スカイツリーに)目を向けるきっかけになりましたね。依頼仕事はすぐにできちゃったんですが、そのあとは2年半ぐらい、自分の作品として時間をかけて。


今回はデジタルでやってます。工事がどんどん進んでいくので、フィルムの大判カメラではスピードが追いつかない。それでまず(ロール紙で出力できる)大判プリンターを買いまして、いろんな用紙をテストしたりすることから始めました。幅3メートルとかのプリントを作ったりして。

なので住まいのひと部屋を潰しまして、撮影しては小さいプリントを作って、それを並べながら考えていったんですね。このシリーズは時系列で決まってしまいますから、プリントを並べて見て「これが足りない」とか「次はこういうのにしよう」とか考えながらやっていかないと。似たようなカットが続いちゃうと困るので。それで3年間、部屋が丸々潰れちゃいましたから、奥さんには怒られました・・いいかげんにしてくれって(笑)。そうやって去年の春にほぼ写真が揃ったので、それからは出版直前の11月まで、継ぎ目の修正とか、ずーっとコンピュータの作業。6ヶ月ぐらい、ほとんど家から出られませんでした。

いまどき珍しい横長の大判写真集を見て、すっかりわかった気になっていたが、展覧会場で、なかには幅3メートル近い大きなプリントを見せられて、僕はびっくりした。フォーカス・ポイントを変えながら撮られた複数の画像を1枚に重ね合わせたそのプリントは、おそろしいまでの解像度というか、信じられないほどクリアーにディテールが見えている。立ち並ぶマンションがあって、目を近づけてみるとベランダに干した洗濯物や、部屋の中のテレビまで見えてしまうのだ。クリックしなくても、近づいてみればいいだけのグーグル・ストリートビューみたいに。

こういう画像こそ、デジタルでなければ得られないものだし、そうでありながら、大きなプリントでなくては体感できない世界であるところがおもしろい(幅3メートルのフルHDモニターとかが家にあれば別だが)。


写真とはその誕生以来、百年以上にわたって人間の目を追い続けてきたわけだが、この時代になって、もしかしたらその先の、別のゾーンに入ってきたのではないかと思わされることが最近よくある。佐藤信太郎が広げてみせるスカイツリーと東京のランドスケープも、そうした「未知のゾーン」に踏み込んだひとつなのかもしれない。それをぜひ、会場に足を運んで、自分の目で確かめていただけたらと願う。

佐藤信太郎 作品展 「東京|天空樹 Risen in the East」
2012 年 1 月 13 日(金) - 2 月 25 日(土)
フォト・ギャラリー・インターナショナル
東京都港区芝浦4-12-32 〒 108-0023
phone. 03 3455 7827
月 - 金 11:00 - 19:00
土 11:00 - 18:00
日・祝日 展示のない土曜日 休館
http://www.pgi.ac/content/view/326/76/lang,ja/

『東京|天空樹(とうきょうてんくうじゅ)』佐藤信太郎・著
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