夜光Night Lights
これらの写真は1997年から99年にかけて東京と大阪で撮影された。主に繁華街と呼ばれる場所で撮影している。美しさとは程遠い隈雑な場所が持つ特有の美しさや雰囲気を捉えたいと思った。
日本の繁華街は食や性、娯楽などの人の欲望を満たす場で充満している。人を引き寄せるために乱立するけばけばしい看板は、その土地の淫靡な空気を吸い込んで咲く花のようだ。その隈雑さに惹かれ路地を歩いているうちに、決して上品とも美しいともいえない勝手気ままに並べられた看板の群れが、ある視点から眺めると、色と光、形の魅力的なリズムを作り出していることに気が付いた。混沌とした俗悪なものが作り出す美しさ、必要性から生み出された意図せざる美しさに感動し撮影を始めた。
撮影にあたり、街そのものを引き出すために、人影は消し去った。多くの人で賑わう街角も、数秒だけ人波が途切れることがある。その間だけレンズを開ける。人が来たときにまたレンズの前を黒い紙で覆い隠す。この繰り返しで、露光に必要な30秒から1分程度の時間を収集する。いわば人のいない瞬間の多重露光である。
本来多くの人が行き交う通りから人の姿を取り除くと、街は普段目にすることのない姿を現す。人のいない空っぽの街で、ネオンの過剰な色彩や光は、人を引きつけるという本来の役割を失ったように見える。光ることそれ自体が目的であるかのように輝いているその光景は、人間が消滅し、人の制御を離れても永久に活動し続ける有機体を思わせる。
新陳代謝の早い都市はその姿を変え続けている。今から振り返ると、世紀末の街は古いものと新しいものがぎりぎりのバランスで共存していた。小綺麗になっていく今の街より魅力的だったように思う。しかし、表層がどんなに変化していっても、根底に流れる地霊ともいうべき場所の持つ隈雑な美しさと固有の雰囲気は、街の歴史の奥底に残り続けていると感じている。